快調談話室

阪神淡路大震災の検証 最終回


 その後、JR、私鉄の復旧は進まず、4輪は渋滞で使い物ならず、もっぱら通勤や業務はホンダ125を酷使、走り回った。震災後の道路はアスファルトの路面の上に小石と砂がばら撒かれた状態になっている。その上を走るのは極めて危ない、元々の地道の方が余程安全である。特に前輪でのブレーキングは危ない!後輪にウエイトを置いたブレーキングを心がけないとズルズル〜である。 この様な状態からして自慢ではないが交通事故ワーストの肩書きもある兵庫県だし、交通信号も【点灯】してない状態なのであらゆる箇所で頻繁に【転倒】を含む事故が起こりそうなものであるが、不思議なことに震災後の数ヶ月間は阪神で大きな事故は無かった。これは市民やこれに携わる人達に緊張感や復旧に対する使命感があったからだと思う。関連していうと当時のあの寒空の下なのに風邪をひいた人は殆んどおられなかったのは緊張感が持続していたからだろう。
こうしてバイクを中心に街中を走り回った。その時に出会う他府県No.の応援車輌、見慣れないパトカーのボディーには神奈川、広島県警etc.とかの表記がある消防自動車、自衛隊車輌がどんどん神戸の街に入ってくる。そしてリュックサックを背負ったギミックさんのようなボランティアの人達の姿もみえた時、目頭が熱くなったことは未だ忘れることのできない想いでとなった。

 ある夜、自宅に帰るとお隣宅に電燈が灯っている。「あらっ?もう電気が通ったのか?」と奥魔に質したところ、「お隣は発電機をお持ちなのよ」と羨ましそうな顔、そこで「家だって2サイクルの発電機あるよ、しかも重たいから移動用の車輪も付いてんだから」と、ガレージから原チャリを出してきてヘッドライトを延長し、せめて夕食だけは明るく・・・と、お隣にささやかな対抗をして見栄を張った(笑)

最後に今の神戸に来られてお分かりの様に震災の跡を感じさせるものは何もない程、復興された。でも私たち神戸市民の心の中にはあの時の日々の事、皆さんに助けられたけっして忘れる事のできない数かづの想い出が焼きついており、今は失われつつある人とひとの繋がりのありがたさや重要性などを感じ、犠牲はあまりに大きかったが自分を見つめ直す機会にもなった震災であった。

自衛隊でも“絆”という言葉があるが、今後も絆を大切にしたい。
おわり
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阪神淡路大震災の検証 その4


 1番乗りで入った職場に着くと既に数名の同僚が着ていた。思わず「えっ?どうしてここまで来れたか?」の問いに対し、早朝出勤のため震災前に到着していたとのことで、納得。そして震災時の状況を口々に語ってくれた。未だ明けやらぬ時間に勤務の用意をしているとグラグラっと、思わず会社の2階から外を見ると駐車場が見るみる間にひび割れて行き、そこから噴水の様に水が噴出、まるでゴジラなどのSF映画を観ている様であった、とのこと ー中略ー
 早速仕事に取り掛かるため、先ず会社の非常用の常備品であるトランジスタラジオを取り出したが肝心の時には鳴らない、電池切れである、同じ様なことが各所であったのか最近は発電用ハンドルが付いたラジオが売られているので皆さんはこれを常備すると良い。 この為、神戸の街の詳しい状況は自宅に帰るまで分からぬままとなった。
次に停電の為、業務用電話は予備用バッテリーでの使用となったので電話の使用量にも限度がある為、先ず従業員の安否の確認を最重要とした。ひとり奔走している間に上司が出勤してきたので同じく、到着までの交通手段を尋ねるとバイクだった。ところが下半身が濡れてないので質すると「わしゃバイクのプロじゃ」と笑っていたが多分、水はその後、直ぐ退いたのだと思われる。
その後も安否の確認が取れなかった社員に対しては翌日以降直接自宅へ出向くことにして夜、一旦自宅へ引き揚げた。待っていた奥魔は神戸の状況を機関銃の様に私に報告、その時初めて長田地区の大火災とか高速道路の高架が倒れていることを知った。情報が入らないと言うことが如何に自分を浦島太郎状態にするかが判った。 「備えあれば憂いなし」企業においても家庭においても緊急時の対策は怠ってはならないと実感させられた1日であった。
                                   つづく
*補足、手前味噌で申し訳ない話だが、私の卒業した職場も現在トリ・インフルエンザ猛威を想定したトリフルキット(各種緊急対策用医療品などが入っている箱)を各人に配布し職場で保管させ、緊急時の拡大を未然に防ごうとしている。これらも震災時の経験が生かされた結果であろう。
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阪神淡路大震災の検証 その3.


 神戸の街に入りポートアイランド(略してポーアイ)に向う道中には火事とか崩壊など震災を大きく感じさせる景色では無かったので震源地から外れる程被害は少ないなとその時は思いながら走っていた。震源地から離れていても活断層地帯である長田区、東灘地区は悲惨な状態となっていたことが解ったのは後になってからのことであった。
やがてバイクは神戸の港湾地区からポーアイに架かる大きな橋を上がって行った。頂上に差し掛かるところからポーアイが見渡せた、特に景色に変化はなかったので安堵するところであったが何故か、ポーアイに向う車が橋の上から下部まで渋滞している。運転席を視ると全ての車に運転手が乗っていない?不思議に思い渋滞の横をすり抜け下部まで下りて行くとそこは川の様に水浸しでポーアイへは進入禁止となっており、乗員は車を置いて徒歩でポーアイに向かっていたのである。これが液状化現象という、後で解る知識なのだが、私には下水管が破裂でもしたのだろうと思っていた、実際はポーアイが埋立地であった為に他所に比べ地下水の噴出量が多かったのであろう。
警察官にどうしても勤務先へ行かなければならない事情を説明しバイクにて島に入る許しを受けた。現場の警官は親切に腰まで水に浸かりながら我がバイクを押してくれた。

…と、ここまでの話は良かったのであるが実際に底の見えない水の中に入って行くと
路面はヌルヌル状態で、雪解けのぬかるみよりももっと酷いニュルニュル状態であった。
ここは一気に抜けて出ないとエンジンもマフラーにも水が浸入してしまう。
でも、一気には無理、オットット・・タイヤが流れる、オヨヨヨ、このまま倒れると水没、泥の中で大型バイクを倒してしまえば起こさなくなり泥んこレスリングとなる。
何としても倒してはならない。オットットスラローム走行で斜めになったりケツを振り不利しながら会社まで約2km、路面状態は到着まで同じであった。きっとこの走行姿を上空から見ていれば滑稽だっただろう。長いバイク乗り経験の中でもニュルニュル道の走行は道は道でも未知の恐ろしい体験であった。今後は自動車学校でもヌルヌルコースを取り入れてもらいたい(笑)
この体験から回顧No.1で述べた震災バイクはトレールが良いと言ったことがお判りになった事でしょう。やっとの事で到着した私の下半身は泥水でドボドボになっていた。

*お詫び、震災当時の記録写真は沢山保有しておりますが、今回あえて写真の掲載を見合わせました。
私個人的には一人でも多くの方に記録写真を見ていただき悲惨な災害に備えていただきたい気持ちはありますが震災を体験された夫々皆さんの悲しみは涙の数以上に様々で写真を見て不快感を感じられる方もおられると推察いたします。現に当時、震災現場に素人カメラマンが所構わずパチパチ撮っていて住民にブン殴られた人がいたり、トラブルが絶えなかったことを記憶しております。日本の街での狭い家屋では親と子供が1階と2階に別れて就寝している為、1階が潰れ下敷きになっているケースが多く私の周辺でも大切に育てた子供を亡されたり、逆にご両親が亡くなられたりしています。あしからず

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阪神淡路大震災の検証 その2.


 地震後、奥魔や子供達に家の処理を任せ慌て勤務先に向うことにした。先ず移動方法なのだがニュースでは公共交通機関がズタズタになっていて読めづ判断が難しい。マイカー、自転車、バイク・・・4輪は渋滞や道路遮断があるのでNO,自転車は時間がかかり過ぎる、やはりバイクにしよう。そして、途中の交通情報入手を考えるとラジオ付バイクが良い、しかもS/Cではなくソロがよい、との手持ち条件からモトグッチカリフォルニア850Tを選んだ。この選択は結果、後で裏目に出てしまうのである。後の反省として思う、最も望ましい方法として会員諸君は軽量級山行きトレールバイク、又はカブで携帯ラジオを肩に掛けるスタイルが良い。
 さて、会社に向うのであるがどの様なコースが1番最速で到着できるか考えた。神戸の街は前回にも述べたが東西に細長くこれに沿うように海(港湾)と山(六甲おろしで有名な六甲山系とでサンドイッチ状態になっている。向う先はポートアイランド(この六甲山系の1部を切り削った土で神戸港沖に埋め立てた人口島)、結果六甲山脈を切り抜いたトンネル(有料)を抜け目的地に向うコースを選んだ。“トンネルを抜けるとそこは街だった”どこかで読んだような言い回しだが便利の良いコースである。

 トンネルの料金所係員(神戸市外郭団体)はいつものごとく料金を徴収するので「この様な事態でも料金を徴収するのかっ!」と怒りに近いこちらの質問に対し、『未だ指示が着て無いので・・・』との返事、お役所仕事だな〜と思いながら先を急いだ。(その後、通行料はスルーになっている)
トンネルの中や三宮地下街などは後に判ったことだが殆ど無傷状態であったのを憶えているので震災時の避難場所として安全な箇所のひとつではないだろうか。
やがて前方が明るくなり街に出た。通過する途中の公園には避難して来た人達が集まって来ているが見えた。
TVのニュースなどでよく放映されている火災現場はこれ(中央区)より西の長田地区であった為、問題なくポートアイランドに向うことができたが反面その時の私には街があれ程重大事に場面に直面していることが判らないまま走行を続ける結果となった。                   つづく

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阪神淡路大震災の検証 その1


 忘れはしない今より14年前の今朝05時46分、突然トランポリンの上に乗せられたように揺り起こされた。
強烈な地震だっ!!隣では奥魔が既に起き上がりギャギャーと悲鳴に似た声を立て足踏みしながら発狂している。
私は奥魔を落ち着かせようと彼女の顔に1ッ発パシッと平手打ちのビンタのお見舞い「喧しいっ!落ち着けっ!子供が不安がるではないか」と一喝し、その後しっかりhugsしてやりながら地震が収まるのを待った。

 やっと我に返った奥魔と部屋の外に出て子供の部屋に向かおうとしたら灯油の匂いが・・廊下一面が濡れている、スワァッ!!火事になるぅっ!実は前日に描きかけの油絵の筆洗い油が倒れていたのであった。『そのままにして就寝したのがいけなかったのだ』子供に声を掛けながら慌てて拭いてゆく。辺りは本棚から本が落ち、食器棚から食器が散乱、足の踏み場もない。
息子と娘の無事が分かるとそのまま階下に走り、バイク達を視にガレージへ飛んで行った。

 あれから14年経った今もづっと子供達に揶揄されていることがある。それは「お父さんは震災の時、私達を放ったらかして先ずバイクの方へ飛んでいった、私達の命よりバイクの方が大事なのだ」と責める。ガソリンの引火で火事の誘発を避ける為だったことを説明をしても彼らは納得してくれない(笑)

 実際、震災当時に発生した火事の原因の多くにこれらの処置(即ち、漏電や引火の原因を個々で食い止めておく確認と処置)が充分でなかった為、電力会社が一刻も早く電源供給を復活させようとし、充分に各家庭の安全状況が把握出来てないままで通電させてしまったことで震災後に再度出火するという2次災害を引き起こしてしまった。

 突然やってくる震災に多くの反省点、教訓を得ることになった事のひとつである。
教訓のひとつに上述の油絵の後片付けをせず、やり放なしで就寝したことは大いに反省すべき事柄ではあるが、逆に良いこともあった。それは前日に沸かしたお風呂のお湯を捨てずにそのまま放置して就寝したことが後の断水時にトイレに流す水として利用出来たことである。やりっ放しの悪い性格の汚点を見事返上できた事例のひとつである。
このまま断水が続くのであれば最悪は風呂の残り湯で食器を洗ったり、場合によっては煮沸して飲料水に・・と心配はエスカレートするものである。
ところが、人間は追い込まれると色々とアイディアが湧いて来るものである。食器にサランラップを巻いて食事する、済んだらラップのみを捨てるようにしたのである。

 東西に長〜い神戸の街、私の住まいはその西端で明石市に近い、ラジオのニュースは震源地を明石の南の淡路島と伝えている。それなら職場があるポートアイランドは震源地より東へ60Kmは離れているのだから殆ど被害はないのだろうと考え、遅刻者の発生で業務のトラブルが想定でき、荷主の応対も考え職場へ1番乗りを目指し、家庭のことは奥魔に任せ、子供達には家の中でも靴を履いて行動するように言い残し職場に向かうことにした。
                            つづく
【写真】お酒好きで神戸に来た経験のある人なら1度は訪れる生田新道
    アーケードの時計は05時46分で歴史を止めてしまった。
    

2009年01月17日(土) No.193 (快調)
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2009年度 新型ウラル スクープ


ウラル・USAのホームページからウラル新型、サハラ(砂漠)仕様をみつけました。
これは限りなくBMW R-75 ロンメル仕様に近づいてきた。
メッキ部分が無いのが良い、タペットカバーやマフラーはブラックで精悍である。
マフラーはキャプトン型、キャプトンサウンドが聴けるのだろうか。
これなら乗ってみたいと思うがさて、金額は?そして燃料噴射問題で日本での機種認定が下りるかどうかが問題である。

以前に吉村 昭著書で「零式戦闘機」を読んだことがある。この記述中に三菱重工名古屋航空機製作所の門から零戦がシートおおわれ牛車に積まれて出荷されてゆく状況を読んだことが思い出される。
当時の道路環境からするとトラックや貨車での搬送は機体を傷める恐れがあるとして、機体は分解して牛車で搬送したようで1機が牛車3台分あったとか・・・
世界で一番高性能な航空戦闘機を開発する能力がありながら道路整備などインフラが整っていなかった当時の日本のアンバランス。これはいつの時代にも言えることです。高度なミサイルが開発できても国民が飢えているようでは近代国家とは言えません。
バランスは大切ですね。国もそうですがこれは個人の生活や健康にも言えることですね。
【写真】丑年に因んで新型ウラルを牛車に載せてみたがウラルの角度と台車の角度が微妙に違う為、荷車のあおりを延長してみたら今度は屋根の長さと合致しなくなった。結果エッシャーの絵のようになってしまった。
2009年01月14日(水) No.192 (快調::一般)
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年頭所感


新年おめでとうございます。
今年に限っては手放しでおめでとうとは言いがたい心配事をもったままの新年となりました。
それは年末の大量解雇のニュース、お正月を目の前に寒空に放り出された人々、その心中は如何に、心を痛めざるを得ません。気温だけでなく身も心も寒むくなってきます。
世間では正規や非正規労働者とか“雇い止め”などと耳障りの良い言葉を選んでいますがこれは正に“解雇”です。
日本では欧米などの契約社会とは違い、派遣労働者が技術集団でプロの腕前を持ち高額な賃金で契約されている方は野球選手など1部を除き絶対数は少なく、多くの方は正規雇用の機会に恵まれなかったり、そのチャンスを待っている方が大半のようです。
 古来、日本の雇い主は従業員を大切にする終身雇用の精神でひとつのパイを分け合って(給与を減らしてでも人員は削減せず)今日まできました。
ところが近年、日産のG最高責任者が傾いていた会社を建て直し一躍英雄に、でも私的に言わせてもらうと英雄でも何でもない、今日まで企業を支えて来た貴重な従業員を経費の中で1番高くつくといった理由で人件費に手をつけてしまった。ここに至る過程でこうせざるを得ない様々な理由があったにせよ、これらは日本には馴染まない。
そして今回、民族資本のトヨタまでが同様の手法を取った。ブルータスお前もか、大和魂はどこに行ったのだろう。非正規労働者の支えもあって前年3月期で約14兆円の内部留保を行っていながらこの利益の数%(年収)しか未たない非正規労働者を簡単に切ってしまう。日本の行く末に不安を感じるのは私だけだろうか。 補足すると今後国内で最低でも3000台以上のトヨタ車は売れなくなるだろう、雇い止めされた労働者も一方では顧客なのだから・・・不買されることも経営者は考えるべきであろう。
 平安時代400年 徳川時代250年 と単一で長期平和を続けて来れた能力は世界では日本民族だけだった筈。ローマ帝国においても中国においても、民族紛争や宗教戦争【この宗教が唯一であるとの戦い】などで長続きできなかったように思いますが、日本が長期に平和が保たれたのは神仏共有(外来宗教の受け入れと日本古来のよろずの神の信仰)できる広き精神というのか和合の心がある民にあったからなのでしょう。
終戦後よりどん底の貧しさを経験したあと世界に先駆け、バルブがはじけ、0金利など多くの経済不況の洗礼を受けた我々は世界同時多発不況にもこれらの経験を生かし生き残り、平成でも100年の記録が達成できるのではと思っていたが今の欧米ナイズされた経営者達の打ち出す手法をみていて心配が絶えない新年の幕開けとなった。本来あってはならない人々の間の優劣、これに“勝ち組や負け組み”などと称し煽るマスコミにも問題があると思う年頭所感であった。
 昨年ウラルジャパンのミハエル社長が私に「日本人はどんなに裕福になっても自分で贅沢を戒めコントロールできる能力がある」と言っていたのが印象的でした。日本人の良き心を沢山持った我がクラブの人達を誇りに思うとともに、今年もみんなと力を合わせスローライフで一歩一歩着実に歩んでゆきたい。
                               おわり
【写真】新年のウェストキャンプ全景
    雪のホワイトハウス
    雪の迎賓館
    雪の荒神山
2009年01月02日(金) No.191 (快調)
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