快調談話室

イワコレ・がまだせ 宗 並爾硫浩堯


明日からの本格的作業に取り組むため、夕方、早い目に切り上げミュージアム近くの温泉で体を休める事にしました。
温泉の名前は「荒木共同温泉」というと、”スーパー銭湯”を想像される方も多いと思いますが、ここは村の皆様の内”数パーセント”しか行かれない穴場、小さな町民温泉です。
ミュージアムの下側に若宮八幡宮という神社があり、そこに車を置かせて頂き、そちらの社殿に向かって手を合わせご挨拶、これで駐車の手続きが完了。そこから踏切の無い久大本線のレールを跨ぐことになります(良い子のみんなは真似しないでね)そして野道を線路沿いに歩くと村の共同温泉の小さな建屋が視えます。
建屋の横には温泉を貯めこんでいる大きな井戸があり、周辺は昭和の田舎の雰囲気が漂い何故か懐かしさが込み上げてきます。温泉入口には料金箱が置いてあり、そこに200円投入します。全て無人なのです。
で、男・女に分かれて入口があるのです。上部で屋根が繋がっているので、話声は丸聞こえでした。
現代から昭和の時代へタイムストリップ、じゃなかったタイムスリップした感じで、身も心もすっかり洗うことが出来ました。
帰りの野道から線路と由布岳がしっかり観ることができました。

【写真説明】 線路向うの階段を上って帰路に着く村のおばちゃま2人
       由布岳の見える線路の向うは湯布院駅
2016年04月30日(土) No.556 (快調)
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イワコレ・がまだせ 次 陛着)


イワコレ到着! 昨年3月以来だから1年と2か月ぶり、時の経つのは早いものだ。
建物の外観は変わってないが、道路に面した2階の窓ガラスが割れたのか、ナイロンシートが張られ風に揺れていた。
入口付近で数名の人たちが休憩をしている。私は近眼なので、顔の判別は出来ないがもしやオーナーやスタッフさん達だったらいけないので、明るく手をふり、ご挨拶。するとどうだろう、親しみを込めて手を振られた側は、知らない相手であってもこちらと同じ感覚になるのか、大きく手を振って笑顔で応えてくれている。
 近づくと井戸のポンプ修理工事のみなさんで不通になっていた水回りはその後、皆さんの頑張りで復活を果たし、夜から利用できる事になりました。
 少しして、オーナーの奥様からおにぎりが届き、スタッフのみなさんと再会を祝いながら昼食となりました。、眼下に見下ろす由布市の一部の家々の屋根にはブルーシートが覆われている為か、いつもの景色とは違って観えました。
不謹慎言語として叱られるかもしれませんが、ブルーシートのカラーも青以外に赤や黄、ピンク色など多色で販売できると良いのでは等と書けば、【喝!】のステッカーを貼られるのでしょうね。申し訳ありません。
 昼からはオーナー&館長を交え明日以降の作業打ち合わせを行った後、ミュージアムの現状を確認させて頂きました。
4月16日い発生した地震で下側に並べられている200台のバイク達は将棋倒し、見せたい目玉バイクは上部の良い位置に展示している為、それも落下しているので大参事。一週間後にスタッフのみなさんに加え、国際応援部隊が加わり計8名で緊急修復を行ったのですが、更に1週間後の4月30日に襲った大分地震で振り出し戻りました。なので、私達は2次派遣隊となる訳です。
2016年04月30日(土) No.555 (未分類)
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イワコレ・がまだせ


さて、九州に入り東九州自動車道から日出JCT経由で大分自動車の湯布院IC下車というコースになるところが熊本地震の範囲が大分に及んだことで未だこの線のみ通行止めとなったままである。やむ無く、東九州自動車道を少し早い安心院ICで降り50号線の下道をひたすら湯布院に向けて走ることにした。
現地湯布院の状況が分らなかったので山道に入る前にGSに寄り、先ず燃料を満タンにし、更に予備タンクにも20リットル用意した。
天気は良い、田園地帯からやがて山道に入って行く、ほんとうに地震が起きたのだろうか、と思うほど平穏無事な景色の中を車はタイヤの音と風を切り音を残して通り過ぎて行く。
と、突然、リリリリと携帯電話の音が… いつもと違いドキッとする。電話の主はイワコレ館長だった「今どの辺走ってるの? そう、安心院?  なら間もなくだね〜 じゃ〜お昼、何もないけど一緒に食べよう」
「いやね、館長 それはボランティアルール違反なんです。自分の事は自分でする。なので、どこかで食べて行きます」
「まあいいじゃない」 等々のやり取りがあったが、電話を置いた後、少し嬉しくなった。何故なら、私達、若干の押掛け的お邪魔虫人、程度に思っていたのが、実は猫の手として、員数に入れてくれているんだ・・と。

 以前、我が軍用風サイドカーに乗って、この50号線で湯布院を目指して走っていた時である、あろうことか我が車輌はいつの間にか自衛隊車輌隊列の中へ紛れ込んでしまっているではないか。それはイワコレのミュージアムの数キロ手前の出来事であった。 あの時、ほんとうに恥ずかしかった、自衛隊輸送トラックの荷台に乗った若い隊員たちが前を走り、づっとこちらを見ていて、こちらと目線が合ってしまう訳だから状況は容易に想像がつくだろう。
同じような服装をしていても、隊員の皆様は体を張ってお国のお仕事している。一方の私は趣味で遊んでいる。誠に不謹慎極まりないというか、さぞ滑稽な組み合わせの列だったろうと、平和な日本の場面を思い出しながら、間もなく到着の予感がした。

【写真】は上嶋車輌 文面とは関係ありません。
    館長と私
2016年04月30日(土) No.554 (快調)
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イワコレ・ボラン


 明日は暗いうちに出発して・・・何て偉そうなことを言っておきながら目が覚めると太陽が昇がっていた。
カーテンを少し開け外を見ると地面を揺すって子守歌を歌ってくれていたトラック達の大半は出発していた。
洗面用具を持って公衆トイレに行く、今日はイワコレのスタッフの皆さんと会う日、しっかりと歯を磨いておかないと口臭トイレとなってしまう。朝トイレで出会う人々の多くはカーネルの皆さんなのか「おはようございます」の挨拶を交わす。気持ちのいいものである。
さあ、関門海峡に向かって出発だ!なび嬢の案内に任せ進んで行くと関門橋が見えて来る。いよいよ、本州とお別れだ、それにしても下道は長いな〜下すら(正しくはひたすら)走ったものなぁ〜
ヨヨヨヨっ、、今朝のなび子ちゃんの案内はおかしいよ! 案内通り走っていると関門橋はどんどん遠ざかってゆくよ〜 ねえぇチャンとナビってよ〜
なび子ちゃんは寝起きが悪いのかい?
でもなび子は聞く耳を持たない。自信ありげに「700m先、300m先の信号右折」などと言っている。車は下関の街の狭い上り坂を駆け上がって行く。
 あぁ〜っ、そうか〜関門橋渡るためには相当上空へ昇らないと渡れないんだ・・やっと気が付いた。

https://www.youtube.com/watch?v=sRAKXNSwE84

では関門橋の壇ノ浦パーキングで休憩し、関門橋をバックに記念撮影しよう。

http://dannoura.jp/
2016年04月30日(土) No.553 (未分類)
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イワコレ・がまだせ


周囲は暗くなってきた。街を外れると高速道路と違い夜間照明の無い所を走ることになる。
歳を重ねると目の視野界深度が悪くなるのか、明るく見えるのはヘッドライトに照らされた部分のみ、即ちトンネルの中を走っている様な雰囲気である。

https://www.youtube.com/watch?v=YgRUAERAnjs


やがて今夜の宿泊地に相応しいビッグな道の駅”ソレーネ周南”に到着 
やはりトイレ周辺はキャンピングカー等、お泊り組が占拠中、そしてこの広い駐車場には長距離トラックたち、殊に保冷トラックがいっぱい停車し仮眠している。これらの振動は私たちの車へ低周波振動で影響をあたえている。でも、日本の物流を担う彼ら乗務員さんにはぐっすり寝ていただき、安心安全な運行を頂いてはじめて私達市民は新鮮な商品を口にすることが出来るし、何よりも無事故で乗務員さんを待つ家族に帰れる日常を考えるとレジャーな私達は我慢するべきなのだろう。

https://ja-jp.facebook.com/solene.shunan

建物の中には大きな商品売り場や産地販売場所がみえる。こんな夜遅く営業している筈はない。防犯の為の明かりを点けているのだろうか、と思いドアを押してみると開いた。中は誰もいない。するとひとり商品棚で整理している人が居るで尋ねると、「24時間営業している」とか

早速明日の朝食の食材を買い、眠りについた。
2016年04月29日(金) No.552 (快調)
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イワコレ・がまだせ


現在の九州熊本・大分では建物より、一番安全な場所とされている移動式宿舎(ハイエース)に乗って一路湯布院へ向かう。脚注:1番安全と書いたが運動を怠るとエコノミック症候群を招き危険がいっぱいな乗り物でもある。
今回、現地にて約5日間の寝泊まり、作業をしながらの食事の支度はきついので、【専属シェフ】じゃなかった【専属シュフ】の奥魔を連れて行くことにした。
ただ、彼女を説得し、連れ出す方法をどうするかが問題。
そこで一案したのが、今まで九州行きはフェリーか高速だったのだが「九州まで国道2号線を走ってグルメを楽しんだり、ぜんざいや甘いもの五十三次ツアーの旅に出て、毎日湯布の温泉に浸ろう」のキャッチコピーを考え、話したら大成功! (現地でのボランティア作業にはあまり触れず、イヒヒ・・)

  時間を気にせず、好きな時に休み、場所場所での珍しいものに舌づつみするのも、たまには良い。
と言いながらも翌日昼一番から作業開始と、頭の中では計算しているが。
ひたすら下道は長く感じる。神戸から約650kmというとちょうど東京と等距離となる。
若いころから2輪車で走った道を通過する時、当時の思い出が脳の中にスライド画像となって映し出されて来る。岡山〜尾道〜広島〜  その映像に沿って私は雄弁な弁士となって隣の観客(奥魔)に青春バイク物語を語っているも、反応は無い。見るとコックリコックリと舟の艪を漕いでいた。
やがて車は山口県へ
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/koho/portal/tokushu/michinoeki/shunan.html
2016年04月29日(金) No.551 (未分類)
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イワコレ・がまだせ【ボランティア日記】 


然しながら今回は「あっ、そうだっ!バイクならいじれるんだ」とばかり、親しくしてもらっている湯布院のバイク博物館【岩下コレクション】へ、200台のバイクが横転大破し大変な事になっているので、これらを修復する作業なら、自分の得意分野なのだ。
このヘルプに参加し、1日も早く全国のバイクファンがまた観られるようにといいな〜と決め、早速、出発準備にかかりました。

現地に問合せすると、電気は通電しているが水関係が普通であるとのこと。ボランティア作業の第一義、自分の事は全て自分で行うこと。
先ず、生活用水を5日分、簡易携帯トイレ、生活機材、車用予備燃料、食料、衣料、その他、車生活を頭の中で想定しながらハイエースに積み込んで行く。
2016年04月29日(金) No.550 (快調)
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イワコレ・がまだせ【ボランティア日記】 No.


或る現役時代に定年後の生活を考えながら手にはパンフレット【とって隠岐の宝島、西ノ島町では下記のような事業を実施しています。都会の喧噪を離れ、ゆったりとした自然と人情の島であなたも暮らしてみませんか】ってなキャッチコピーに目は釘づけになっていました。
で、応募するにはこの島で自分の活躍できる事柄プレゼンスする訳なのですが、いざ考えてみるとはたして自分に何が出来るのだろか?漁師は無理!船酔いする。畜産業?知識がない。農業?無理!ひまわりも朝顔も枯らせてしまう。力仕事?鉛筆より重いものは無理。
唯一出来るとするなら、大草原の羊や牛をトレールバイクに乗って追い集めるのは出来そう。
ん?それならモンゴルやオーストへ行けってか?
そんなこんなで、話は脱線しましたが、いざとなるとそれほど役立たず人間で、応募は断念したことがありました。
2016年04月29日(金) No.549 (快調)
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イワコレ・がまだせ【岩下コレクションがんばれ】 


  阪神大震災に遭って21年目めをむかえた。当時、仕事を終えバイクで帰路に着く道中、次々と神戸の街へ向かう他府県No.の車輌群、自衛隊、消防車、救急車、ゴミ収集車、役所の連絡車などに次々とすれ違った。私は目を真っ赤にし、嗚咽し、こうべを垂れながら、ただ感動と感謝の気持ちをどう表現したらよいのか、戸惑っていた自分を思い起こしています。
 表面に見える形の車輌だけでもこれだけ心を揺り動かされた事を覚えてるのですが、実際は当時、無印(私服のボランティアさん)の皆さんが駆けつけ、私を含む多くの阪神市民に勇気と希望と感動を与えていただきました。そのボランティア人数は延べ180万人(97年12月末までの推定)とも言われています。
将来、あってはならぬことだが、いつか何らかの形で恩返しがしたいと、常に心の片隅ではふつふつと燃え育っていた感謝の気持ちと大切に繋ぎ止めていたい人々との絆がありました。
今回の熊本・大分地震で自分に何か出来るものはないか自問しておりました。
阪神大震災の場合、余震は潮が引いてゆくように、徐々に小さく、少なくなってゆき、原発も津波も無く、その復興は速いものでした。が、今回は発生後、益々盛んで1000回超えもあっという間に過ぎてゆき、その範囲も次第に広がり、今や阿蘇山周辺から大分湯布院へ。
2016年04月29日(金) No.548 (未分類)
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熊本地震に思うこと


 忘れもしない阪神大震災の時、最初にドカ〜ンと来たら、あとは小さな余震ばかりだった。
今回もそのような概念で徐々に収束されると思っていたら、あとの16日になって、7.3Mの大きなものが来た。これが本震で最初の分は前震?だったとか・・ ”前震”という言葉さえ聞いたことがなかった私にとってはどうもうさんくさい発表に思えてならない。
この様な前提が一般的にあれば、もう1度家に戻ることは無なかったのでは?と、悔やんでしまう。
気象庁は17日、マグニチュード(M)3.5以上の地震回数が、中越地震(2004年)では発生後3日間で150回程度、08年の岩手・宮城内陸地震では同120回程度だったのを超え、内陸や沿岸で発生した地震では過去最多で165回を記録したそうな。
阪神大震災、東北地震と大きな地震が来る度に、我々は大きな教訓を得るが、今やその内容は一律でない
【丈夫な建物なら机の下にもぐる】 この方法は危険となり、【戸外で待機】に変わろうとしている。

真っ暗の中で、度々襲ってくる余震、身も心ももう限界に来ているのでは、と現地の人の思いは察して余りあるものだ。

【写真は】昨年熊本城を見学してきたものであるが、今、無残な姿をニュースで見た時、残念で怒りすらおぼえる。
2016年04月19日(火) No.547 (未分類)
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阪神大震災を経験し思うこと


会員の皆様から無事である知らせをいただき安堵しましたのに、15日の夜から本日にかけて断続的に余震と本震が繰り返されています。
気になるのでTVのスイッチを入れると【緊急地震速報!】とテロップが流れます。
私が見ようとするとテロップが流れるので、何だかご迷惑をお掛けしているのでは・・と思えて来る程、頻度がたかくなっているのですね。またまた心配になっているところです。
そして、今夜から雨の予報。

熊本地震はこれでもか!これでもかと何度も押し寄せてきます。
傍観者であってはいけないのですが、ついTVに一喜一憂しながら釘づけになっている自分がそこにいます。

リアルタイムに上空から送られてくる情報(映像)はありがたいのですが、ほんとうに必要なのでしょうか?
この航空機に因る上空での騒音は、瓦礫の下で助けを求める人たちの僅かな音や振り絞る声も聞き逃がさない様にと、夜を徹してがんばって救出作業をされている皆様や親族の皆様に対して迷惑はかかっていないのでしょうか心配しています。もちろん救助用ヘリや、情報収集ヘリは別ですが・・
皆様はどう感じられていますか?

【写真】上空から見たWH 手前の中央の白い建屋がWH
2016年04月16日(土) No.546 (未分類)
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